1995年10月~1997年1月(5回目の入院~元気になる)

■五回目の入院【95’10.18~12/8】

当時専門学生だった私は、女子寮に入っていて、好き放題羽を伸ばしていた。
その矢先、突然の腹痛にみまわれ、入院となる。
原因がなかなかわからず、CT・MRI・エコー・大腸鏡・婦人科検診などをしたが、どこも異常なし。
SLEが原因の腹痛かもしれないという医師の診断で、プレドニンを30mgに増やしてみたが、一向に変わらない。
1ヶ月くらいすると、痛みも大分治まってきたが、原因不明のまま、退院することに。
今回もこの入院で誕生日を迎えてしまった。(^◇^;)
しかし、この入院中にやった大腸鏡は、今までの検査の中で一番辛かった。
検査の最中、ものすごい激痛で、のたうちまわるのを、男性の医師が4人で抑えこむというかなりすごい状況になっていたらしい。(^◇^;)
この検査はもう二度とやらない!!(笑)

■六回目の入院 【96’4.5~7.19】

専門学校も無事卒業できて、バイトを始め出すようになった矢先のこと・・・
この入院は、私の運命を変えるともいえる入院だった。
途中、ステロイド薬副作用のため、重篤な精神障害を起こした為、記憶のない部分もありますが、ある部分だけ語ろうと思います。
39.0℃を越す高熱で、入院。
かなりむくみがある状態で、腎臓も急激に悪化してきている状態だった。
骨髄採取を3回ほどする。
食事療法やパルス療法開始するが、腎臓が硬化していると、その部分に効き目が見られない可能性がある。
結果、予想どうり、パルス療法も効かず、プレドニン50mgから始める。
胃痛、腹痛、吐気に襲われ、意識も朦朧とした状態になる。
パルス療法が効かないという結果なので、一時的に血液透析を始めてみる。
首からカテーテル(細い管を動脈の血管内に入れこむ)を入れるが、失敗され、太ももの付け根からカテーテルをはめこむ。
その夜、大出血で激痛に苦しむ。なんとか止血で出血は治まったが、痛みはなかなかとれない。
翌日、始めてのカテーテルからの透析となる。
透析中、胸が苦しく、冷汗がでる。初回なので、3時間で終わった。
2回目の透析には、輸血をしながらの四時間の透析になった。前回よりかは辛さはなかったが、長い時間同じ格好をしているのがものすごく辛い。
カテーテルの入れ替えは、3週間に一回くらいのペースで、それがまた血管が細い私を悩ませた。
結局、この入院での透析回数は12回だった。
退院前に、いつでも透析導入できるように、シャント(静脈と動脈を結んで、血管を太くする)手術も行った。
ステロイド薬の影響と、精神的ショックから、精神状態も錯乱し、幻聴が聞こえたりし、精神科の医師もいつもついていた。
母が病室に泊まりこむことも何回かあったらしい。
結局は、透析導入は、血液のクレアチニンという値が、透析導入になる範囲にぎりぎり入らなかったので、自宅療養ということで、退院した。

■自宅での栄養管理 【96’7~11】

退院したものの、栄養管理がものすごく大変だった。
それぞれ食品の栄養成分を調べて、計量器とにらめっこの日々が続いた。
もちろん外食なんて全然できなく、精神的にも肉体的にも閉じ込められるような生活だった。
退院後も、体力がなかなかつかず、どこに行くにも、人の手助けが必要な状態だった。
それもつかのまに・・・

■7回目の入院 【96’11.11~11.28】

とうとう、腎不全になり、尿毒症の症状が現れる。
吐気が頻繁に起こり、倦怠感、頭痛に耐え切れず、入院。
翌日すぐに血液透析導入となった。
透析導入後、透析の副作用でしばらく悩まされたが、時間がたてば消えるということで、約二週間の入院となった。

■元気になる!【97’1~10】

透析導入後の副作用はありながらも、透析導入の退院後、めきめきと元気になってきました。
その当時、ステロイド薬の副作用のため、太ってしまった体重、最高46.0kgもステロイド薬が減っていくたびに、どんどんおちて、
35.0kgくらいまでに。
インターネットを始めたのもこの頃で、はまりにはまっていた頃でした。(笑)
その後外出も多くなり、オフ会やらなんやらいろいろ遊びまわっていました。
97年の10月ごろから膝の関節が痛みだした。
股関節もなんか少し変。。。

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