1997年10月~1999年1月(骨頭壊死?~回復)

■骨頭壊死?【97’10~98’9】

膝の痛みが日に日に強くなり、病院でレントゲン・MRIの検査をしたところ、壊死による骨の潰れが発見された。
六回目の入院の時のパルス療法や、ステロイド剤大量服用による副作用がとうとうでてしまったようだ。
最初は階段の下りが、膝にきつかった程度だったけど、そのうちに、膝どころか、股関節までもが痛み出した。
レントゲン・MRIの結果、股関節も壊死による骨の潰れが発見された。
壊死はかなり広範囲の及んでいた。
それでも、まだなんとか歩け、痛み止めを使って外出も頻繁にしていた。
しかし、次第に痛みはひどくなる一方で、朝起きあがれない状態にまでなってしまった。
もちろん歩行も困難な状態で、やむ終えなく手術を決断することになった。

■八回目の入院 【98’9.8~99’1.25】

私の股関節の壊死は、相当広範囲のため、(狭い範囲の壊死は自分の骨を回転するといった手術ですむのだが)
人工骨頭を入れかえる手術をすることになった。(人工骨頭置換術)

手術は無事両股関節とも終わったが、その後、感染症と腸炎を起こしてしまい、入院が大幅に長引いた。
手術が終わってほっとするのもつかの間、お腹が痛い!!
なんとパンパンに膨れ上がっているではないか・・・・。
感染症のため、炎症がお腹の中で起きてしまい、腹水がいっぱい溜まってしまった。
しかし、症状は腹水どころではすまなくなり、肺や心臓にまで、水が溜まってしまった。
腸炎も起こしていたので、高熱が続き、下痢・嘔吐を繰り返していました。
血中の酸素濃度も低下し、酸素を吸入するといった、重篤な状態に陥ってしまったのです。
食事も、一ヶ月間絶食し、首からは栄養価の高い点滴を入れられ、頻繁に高熱が出ては、嘔吐し、
解熱剤を使って下げれば、動悸が激しく呼吸困難に陥り、しばらくそんな状態が続きました。
そんな辛い中でも、血液透析は必ずしなければならなかった。
体中いたるところにむくみが出ていて、その水を透析で引くのが辛い!
透析中は必ず途中から、悪寒に襲われ、あっという間に40℃近くまで熱があがって、腹痛にも襲われ、身動きのできない状態だったので
その辛さは、術後の傷の痛みよりも辛かった。
そんな状態の中で、正常な精神状態ではいられず、朦朧としながら錯乱状態にもなりました。
極度の貧血にもなり、輸血を二回ほど実行した後、体の調子が少し良くなってきました。
ロビーに出れるような状態にまで回復した後、食事もおもゆから少しずつ普通食になって、ますます元気もとりもどせてきました。
ただ、脚のリハビリが不完全のまま寝こんでしまったので、歩くといっても、100mくらい歩いただけで、心臓がバクバクいって、
とてもじゃないけど普通には歩けない状態でした。
この入院中も、自分の誕生日を病院で迎えてしまった。これで三回目の入院中の誕生日となる。(-。-;)y-~~~~
状態もよくなり、無事生還し退院になりました。

■回復 【99’1~4】

脚の回復は、かなり早かったです。
痛みもすぐなくなり、階段以外はスタスタと歩けるようになるまでそんなに月日はたちませんでした。
人工骨頭という点で、すぐれた効果を発揮してくれたようです。
レンドゲンで、自分の股関節部分を見ると、なんかロボットみたいで不気味です。
傷跡は生々しく残ってしまったけど、人様に見せるようなことはないなと、あまり気になってません。(笑)
松葉杖をついて公園を周ったり、リハビリに勤しんでいましたので、杖もそのうちいらなくなり、階段は手すりが必要ですが、
後はあまり不自由なく歩けるようになりました。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です